死に対して

参列してる方の涙や、お別れの言葉を聞くと自分も込み上げるものがある。

お線香をあげに来られる方の人数こそおじちゃんが生前に残したもののデカさを物語っているようだった。

先日親戚のおじちゃんが亡くなった。

83で逝ってしまったようだ。

おじちゃんとの思い出は全くと言っていいほど無く、亡くなったという知らせを聞いても想いをよぎるものはなかった。

 

それでもお葬式が終わってみるととても良い勉強になった。

 

桜は散り、梅はこぼれ、菊は舞い、牡丹は崩れ、人は逝く。

 

日本語って美しい。

 

お葬式にじいちゃんとばあちゃんも来ていた。久しぶりだったけど相変わらず元気で嬉しかった。

 

 

まだ二十歳にも達してないが喪服の出番が増えてきた。

人の人生における時間は決まってる。

それはあと100万時間かもしれないし、10時間かもしれない。

 

俺の葬式は何人来てくれるだろう。

どうせ死ぬんだったら沢山の人に惜しまれて火葬場にもっていかれたいものだ。

 

 

今を生きよう👍